側から見ると私は満たされているように見えるのだろうか。何不自由ない人間に見えるのだろうか。
しかし幼少より心の内には常に不安がつきまとっている。意識を外に向けると、暗い冷たい水がじんわりと全てに染み込んでいるように思う。
不安の正体が長らくわからなかった。自分の性格に問題があるのか、自分の容姿に満足していないからなのか、自分のやりたいことをやっていないからなのか、自分が思う完璧な自分ではないからなのか。
しかし40年以上生きて、やっとその複雑に絡み合った不安の正体がわかってきた。
HSPでACで、たぶんASDなのだ、私は。
今では耳にすることが多くなったそれらの性質や発達障害は、私の生きてきた時代には長く聞くことがなかった。しかしどうもこれらが絡み合い、私の心の内を一言で説明することが難しいのだとわかってきた。
日常生活で辛さを感じることがたくさんあった。
幼稚園のトイレに行けない、女の子たちの会話がわからない、運動会のスターターピストルの音が苦手、風船が割れるのが恐ろしい、紙をくしゃくしゃに丸めるのがぞっとするほど嫌い、化繊の衣服が落ち着かない、冗談がわからない、嘘も方便の理解に苦しむ、電話が苦手、時間の逆算ができない。
それら全て自分の性格の欠陥だと思っていた。自分は人間として何かが欠落しているのだと。
大人になって平気になってきたこともあるが、皆ができることができないという不安感はずっと拭えない。病気であってほしいとさえ思っていた。病名がついたらどんなにほっとすることかと思っていた。しかし近しい人にそう漏らしても、そんなことない違うと否定され、やはり自分は欠落しているのだとさらに落ち込む。
生まれ持った性質が複雑に絡み合い、破れた夢と希望の悲しみを増長させて絶望に変え、私を暗く長いトンネルへ運び、空を曇らせていた。
心に蓋をし、本来の自分から目を逸らし、借り物のような人生に流れることで死から逃れ、転機で我に返った時には35歳になっていた。
そこからやっと自分の人生に素手でしがみついて登るようになった。荒い岩肌に血が滲み、目に入る汗で選択肢を誤ったりもしたけれど、忘れていた自分と一緒に生まれ直したかのよう進んだ。